自動車製造の現場では、部品や資材を載せた台車(ドリー)の押し引き作業が日常的に行われています。この押し引き作業による筋骨格系障害(MSDs: Musculoskeletal Disorders)のリスクは、製造業の労働安全衛生における重要な課題のひとつです。

米国国立労働安全衛生研究所(NIOSH: National Institute for Occupational Safety and Health)は、約8,000人が働く自動車製造工場で台車操作の人間工学的評価を実施しました。その結果、作業者の52%が仕事に関連した筋骨格系障害の痛みを報告しており、台車の設計改善によって作業負担を大幅に軽減できることが明らかになりました。

この記事でわかること

  • NIOSHが自動車製造工場で実施した押し引き作業の人間工学的評価の概要
  • 台車操作に伴う筋骨格系障害の発生状況と身体部位別の影響
  • アルミ製ドリーへの変更で作業負担が48%軽減された具体的なエビデンス
  • 押し引き作業のリスクを低減するための実務的な改善策

押し引き作業と筋骨格系障害リスクの背景

製造業における手動マテリアルハンドリング(材料・部品の手作業での運搬)は、筋骨格系障害の主要なリスク要因として広く認識されています。なかでも台車やカートの押し引き作業は、腰部・肩・上肢に大きな力学的負荷をかけることが知られています。

自動車製造の組立ラインでは、パノラミックルーフなどの大型部品を専用の台車(ドリー)に載せて運搬する作業が繰り返し行われます。こうした台車の重量、ハンドルの高さ、床面の状態などが適切でない場合、作業者の身体に過度な負担がかかり、慢性的な痛みや障害につながるリスクがあります。

しかし、実際の製造現場における押し引き作業の力学的負荷を定量的に測定し、筋骨格系障害との関連を分析した研究は限られていました。NIOSHはこの課題に対し、現場での実測データに基づく包括的な評価を行いました。

研究の概要

研究の目的

本研究は、自動車製造工場における台車の押し引き作業について、作業者にかかる力学的負荷を定量的に測定し、筋骨格系障害のリスクを評価することを目的としています。あわせて、台車の素材変更(スチール製からアルミ製への変更)による負担軽減効果も検証されました。

対象と方法

調査は約8,000人の従業員が働く自動車製造工場で実施されました。パノラミックルーフの運搬を担当する45名の作業者を対象に、以下の評価が行われました。

  • 力の測定: ドリーの押し引きに必要な力をフォースゲージ(力計)で定量測定
  • 作業姿勢の観察: 作業中の姿勢やハンドルの握り方を人間工学的に評価
  • 健康状態の調査: 質問票により筋骨格系障害の症状を身体部位別に把握
  • 作業ストレスの評価: 作業負荷の主観的な評価を収集

スチール製ドリーとアルミ製ドリーの両方について測定を行い、素材の違いによる作業負荷の差も比較分析されました。

主な研究結果

作業者の半数以上が筋骨格系の痛みを報告

調査に参加した42名のうち、22名(52%)が仕事に関連した筋骨格系障害の痛みを報告しました。これは作業者の半数以上が何らかの身体的不調を抱えながら働いていることを意味します。

痛みの部位別の報告状況は以下の通りです。

身体部位報告者数報告率
14名33%
11名26%
6名14%
5名12%

肩の痛みが33%と最も多く、次いで腰(26%)が続いています。台車のハンドル高さが平均50インチ(約127cm)と高めに設計されていたことが、肩への過剰な負担の一因と考えられます。

さらに、ドリー操作に直接関連する痛みとして13名(31%)が報告しており、92%の作業者が「繰り返し作業」が痛みの原因になったと回答しました。反復的な押し引き動作の蓄積が、筋骨格系障害のリスクを高めていることがデータから裏付けられています。

スチール製ドリーの負荷が許容範囲を超過

台車の押し引きに必要な力を測定した結果、従来のスチール製ドリーでは44ポンド(約20kg)を超える力が必要な状況が確認されました。これはNIOSHが推奨する押し引き作業の許容範囲を超える可能性がある数値です。

特に女性作業者にとっては身体的負担が大きい水準であり、性別による体力差を考慮した作業設計の重要性が浮き彫りになりました。

アルミ製ドリーで作業負担が48%軽減

注目すべき発見は、スチール製ドリーからアルミ製ドリーへの変更によって、押し引きに必要な力が48%軽減されたことです。台車そのものの軽量化が、作業者の身体的負担を大幅に低減することが実測データで示されました。

この結果は、作業者への教育や個人の努力だけでなく、使用する道具・設備の設計改善が筋骨格系障害の予防において極めて効果的であることを実証しています。

この研究からわかること・実務への示唆

設備設計の改善が最も効果的な対策

本研究は、押し引き作業における筋骨格系障害リスクの低減には、作業者個人の努力よりも作業環境と道具の設計改善が効果的であることを示しています。人間工学的介入が労災削減に有効であることは、複数の研究で確認されています

具体的には、以下の対策が推奨されます。

  • 台車の軽量化: スチール製からアルミ製への変更が最も即効性のある対策。自重の軽減により、押し引きに必要な力が大幅に低下する
  • ハンドル高さの最適化: 36〜45インチ(91〜114cm)の範囲に設定することで、肩への負担を軽減できる。現状の50インチ(約127cm)は高すぎることが本研究で示された
  • エアアシスト機能の活用: 台車の移動を空気圧で補助する機構の導入により、作業者にかかる力をさらに低減できる

作業方法の見直し

設備の改善に加え、作業方法の見直しも重要です。

  • 押し作業の推奨: 引く動作よりも押す動作のほうが身体への負担が小さいことが人間工学的に知られています。可能な限り「引く」作業を「押す」作業に切り替えることが推奨されます
  • 作業ローテーションの実施: 同じ動作の繰り返しが筋骨格系障害の主要リスクであることから、作業者間のローテーションにより特定部位への負荷集中を防ぐことが有効です
  • 作業エリアの動線整理: 台車の移動距離や方向転換の回数を最小限にする動線設計が、累積的な負荷の低減につながります

日本の製造現場への応用

本研究は米国の自動車工場で実施されたものですが、その知見は日本の製造現場にも十分に応用可能です。台車やカートの押し引き作業は、自動車製造に限らず食品加工、物流、病院など幅広い業種で日常的に行われています。職場のストレスと筋骨格系障害の関連も考慮すると、身体的負担の軽減は作業者のメンタルヘルス改善にもつながる可能性があります。

厚生労働省の「職場における腰痛予防対策指針」でも、重量物の取り扱いや反復作業におけるリスク低減が求められており、本研究のような定量的なデータは、職場改善の根拠として活用できます。

研究の限界と今後の展望

本研究にはいくつかの限界があります。

まず、対象者が45名と比較的少数である点です。単一の自動車製造工場での調査であるため、結果を自動車製造業全体に一般化するには慎重さが必要です。工場ごとに使用する台車の種類、床面の状態、作業頻度が異なるため、他の工場でも同様の結果が得られるかは追加検証が求められます。

また、横断的な調査であるため、押し引き作業と筋骨格系障害の因果関係を直接証明するものではありません。作業者の痛みが台車操作以外の要因(過去の負傷、加齢、他の作業との複合)に起因する可能性も排除できません。

さらに、アルミ製ドリーへの変更が長期的にMSD発生率をどの程度低下させるかについては、本研究の範囲では検証されていません。設備改善後の追跡調査(縦断的研究)が今後期待されます。

押し引き作業に関する人間工学的研究は、今後ますます重要になると考えられます。自動化が進む製造業においても、手動での運搬作業が完全になくなることは当面見込めず、作業者の安全と健康を守るためのエビデンスの蓄積が引き続き求められます。

まとめ

NIOSHが自動車製造工場で実施した調査により、台車の押し引き作業に従事する作業者の52%が筋骨格系障害の痛みを報告していることが明らかになりました。肩(33%)と腰(26%)の症状が多く、反復的な押し引き動作が主な原因と考えられます。スチール製からアルミ製ドリーへの変更で作業負担が48%軽減されたことは、設備の設計改善が最も効果的な予防策であることを実証しています。ハンドル高さの最適化や作業ローテーションの導入と合わせ、人間工学に基づく総合的なアプローチが、作業者の健康と生産性の両立に不可欠です。

参考文献

  1. NIOSH, "Evaluation of Ergonomic Risk Factors Associated with Pushing and Pulling Dollies at an Automotive Manufacturing Facility," Health Hazard Evaluation Report, NIOSH. https://www.cdc.gov/niosh/
  2. 厚生労働省, 「職場における腰痛予防対策指針」, 2013年改訂. https://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r98520000034et4.html
  3. Snook, S.H., Ciriello, V.M., "The design of manual handling tasks: revised tables of maximum acceptable weights and forces," Ergonomics, 34(9), 1197-1213, 1991. https://doi.org/10.1080/00140139108964855

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