ビジネスのグローバル化が加速する現在、企業は国内の労働安全衛生(Occupational Health and Safety:OHS)対策にとどまらず、海外拠点が拠る各国のOHS基準にも目を向ける必要があります。多国籍企業の安全衛生担当者にとって、「進出先の法規制にどう対応すべきか」は避けて通れない問題です。本記事では、日本を含む主要5カ国・地域のOHS制度を比較し、グローバル視点で押さえるべきポイントを整理します。

この記事でわかること

  • 日本・アメリカ・EU(ドイツ)・イギリス・オーストラリアのOHS制度の全体像
  • 各国の監督機関と法体系の違い
  • 立ち仕事・身体的負担に関する各国の規制アプローチ
  • ISO 45001と各国制度の関係性
  • グローバル展開する企業が押さえるべきOHS戦略のポイント

各国の労働安全衛生制度を比較する意義

なぜ国際比較が必要なのか

労働安全衛生の制度は各国の歴史的背景、産業構造、労働文化に根差して形成されてきました。同じ「労働者の安全と健康を守る」という目的であっても、規制のアプローチは大きく異なります。

海外拠点の運営、外国人労働者の受け入れ、グローバルサプライチェーンの管理において、各国の制度を正しく理解することはコンプライアンス上の必須条件であるだけでなく、労災リスクの低減や企業の社会的責任(CSR)の観点からも重要です。

日本の労働安全衛生制度

法的枠組みと監督機関

日本のOHS制度は厚生労働省が所管し、労働基準法労働安全衛生法(1972年制定)を二本柱として構成されています。労働基準監督署が現場レベルでの監督・指導を担い、全国に約320の拠点を持つ執行体制が整備されています。

企業の規模や業種に応じて、以下の管理体制の構築が義務付けられています。

  • 衛生管理者・安全管理者の選任(常時50人以上の事業場)
  • 産業医の選任(常時50人以上の事業場)
  • 安全衛生委員会の設置(常時50人以上の事業場)
  • ストレスチェック制度の実施(常時50人以上の事業場、2015年義務化)

日本の特徴と課題

日本の制度は労使協調による自主的な安全管理を基本理念としており、安全衛生委員会を通じた現場参加型の取り組みが特徴です。一方で、以下の課題も指摘されています。

  • 建設業・運輸業・介護業など身体的負担の大きい業種における労働災害の高止まり
  • 外国人技能実習生や非正規労働者への安全教育の整備
  • 2026年改正安衛法による個人事業者保護義務の新設への対応

立ち仕事に関しては、労働安全衛生規則第615条(立業についての措置)が「持続的立業に従事する労働者のために、いすを備えなければならない」と定めていますが、具体的な運用基準は各事業者の裁量に委ねられている部分が多い現状です。

アメリカの労働安全衛生制度

法的枠組みと監督機関

アメリカでは、連邦労働省傘下のOSHA(Occupational Safety and Health Administration:労働安全衛生局)が中心となって監督と執行を行っています。1970年に制定された労働安全衛生法(OSH Act)を根拠法とし、建設業・製造業・医療福祉など各業界に対して非常に詳細な技術基準を定めています。

アメリカの特徴的な取り組み

アメリカのOHS制度は「予防重視・権利重視・実効性重視」の三本柱で構成されています。

1. 一般義務条項(General Duty Clause)

OSH法の中核条項で、すべての事業者に対して「既知の危険から労働者を守る義務」を課しています。具体的な規定がない場合でもリスクへの対処が求められる包括的な規定であり、新たなリスクへの対応を可能にする柔軟性を持ちます。

2. Prevention through Design(PtD:設計段階からの予防)

NIOSH(米国国立労働安全衛生研究所)が推進する考え方で、危険やリスクを「起きた後に対応する」のではなく「設計段階から排除する」ことを目指します。

3. 厳格な執行と内部告発者保護

違反に対する罰則が重く(重大違反1件あたり最大16,131ドル、2024年時点)、抜き打ち検査や内部告発(Whistleblower)保護制度が整備されています。労働者が安全上の懸念を通報することが法的に保護されている点が特徴的です。

4. 自主的保護プログラム(VPP:Voluntary Protection Programs)

優良企業が自主的に安全衛生活動を強化する認定制度で、OSHAの認定を受けることで企業のブランド力や人材定着率の向上に寄与します。

立ち仕事に関する規制

アメリカでは連邦レベルでの「座る権利」の法的義務はありませんが、カリフォルニア州をはじめとする一部の州では、業務の性質が座って行えるものである場合に椅子を提供する義務を定めた州法があります。近年はミシガン州アナーバー市の条例など、地方自治体レベルでの「座る権利」保障の動きが広がっています。

EU(欧州連合)の労働安全衛生制度

法的枠組みと監督機関

EU域内では「欧州労働安全衛生枠組み指令(89/391/EEC)」に基づき、加盟各国が共通のOHS基準を持つことが求められています。EU-OSHA(欧州労働安全衛生機関)が調査研究と啓発活動を担い、各国はEU指令を国内法に置き換えて実施します。

EUの特徴的なアプローチ

1. 予防原則(The Principle of Prevention)

危険や健康被害が生じる前に「予測して防ぐ」ことを義務としています。OHSは事後対応型ではなく先手型であるべきという強い哲学に基づいています。

2. リスク対処の優先順位(Hierarchy of Prevention)

EU指令では、対策の優先順位を明確に定めています。

  1. 危険の除去
  2. リスクの代替
  3. 技術的・組織的対策
  4. 個人用保護具(PPE)

この順序に従って対策を講じることが求められ、PPEは「最後の手段」として位置づけられています。

3. ドイツの二元構造モデル

EU加盟国の中でもドイツは独自の制度を持ち、連邦政府業種別労災保険組合(Berufsgenossenschaften)による二元的な監督体制が特徴です。労災保険組合は保険料の設定だけでなく、安全基準の策定や事業場への指導・監査も行うため、業種特性に応じたきめ細かな対応が可能となっています。

立ち仕事に関する規制

EU域内の多くの国では、レジ係が椅子に座って業務を行うことが一般的です。EU-OSHAは長時間の静的立位が筋骨格系障害や循環器疾患のリスクを高めることを指摘しており、「ダイナミックワーク(動的な作業姿勢の組み合わせ)」を推奨しています。

イギリスの労働安全衛生制度

法的枠組みと監督機関

イギリスのOHS制度は「Health and Safety at Work etc Act 1974(労働安全衛生法1974)」を基盤とし、HSE(Health and Safety Executive:安全衛生庁)が監督機関として機能しています。EU離脱(Brexit)後も、EU指令に基づいて国内法化された安全衛生規制の多くは維持されています。

イギリスの特徴

1. ロベンス報告書に基づく自主規制モデル

1972年のロベンス報告書に基づき、詳細な規則よりも「目標設定型(goal-setting)」の規制を重視します。企業に対して「何を達成すべきか」を示し、「どのように達成するか」は企業の裁量に委ねるアプローチです。

2. リスクアセスメントの徹底

すべての事業者に対してリスクアセスメントの実施が義務付けられており、5人以上の労働者を雇用する事業者はその結果を文書化する必要があります。

3. CDM規則(Construction Design and Management Regulations)

建設業界に特化した安全規制で、設計段階から安全衛生を組み込むことを法的に義務付けています。アメリカのPtD(Prevention through Design)の考え方と通じるアプローチです。

オーストラリアの労働安全衛生制度

法的枠組みと監督機関

オーストラリアでは「Work Health and Safety Act 2011(労働安全衛生法2011)」を基盤とするモデルWHS法が策定され、各州・準州がこれを国内法として採用する仕組みとなっています。Safe Work Australiaが全国レベルでの政策調整と基準策定を担っています。

オーストラリアの特徴

1. PCBU概念の導入

オーストラリアのWHS法はPCBU(Person Conducting a Business or Undertaking:事業を営む者)という概念を導入し、従来の「雇用者」の枠を超えて安全衛生義務を拡大しました。フリーランスや請負業者を含むすべての作業者の安全を確保する義務が生じます。

2. 座位時間の削減プログラム

オーストラリアは長時間座位の健康影響に関する先進的な研究を行っており、クイーンズランド大学の「BeUpstanding」プログラムは職場での座位時間削減を推進する無料の取り組みとして25,000人以上の労働者に利用されています。

3. 労働者参加の重視

Health and Safety Representatives(HSR:安全衛生代表)制度を通じて、労働者が安全衛生管理に直接参加する仕組みが整備されています。HSRには作業停止権限が付与されている点が特徴です。

5カ国・地域のOHS制度比較

比較項目日本アメリカEU(ドイツ)イギリスオーストラリア
根拠法労働安全衛生法(1972)OSH Act(1970)枠組み指令89/391/EECHSWA 1974WHS Act 2011
監督機関厚生労働省・労基署OSHAEU-OSHA + 各国機関HSESafe Work Australia + 各州
規制アプローチ労使協調・自主管理詳細基準・厳格執行予防原則・指令→国内法化目標設定型・自主規制モデル法・州別採用
内部告発者保護公益通報者保護法Whistleblower ProtectionEU指令2019/1937PIDA 1998WHS法に内蔵
立ち仕事関連規則第615条(椅子の備え付け)州法レベルで規制ダイナミックワーク推奨DSE規則(VDT作業)BeUpstandingプログラム

ISO 45001と各国制度の関係

ISO 45001:2018は、労働安全衛生マネジメントシステムの国際規格です。各国の法制度は最低基準を定めるものですが、ISO 45001はそれを上回る水準で安全衛生管理の「しくみ」を構築することを求めています。

各国の制度との関係を整理すると、以下のようになります。

  • 日本: ISO 45001の認証取得企業数は増加傾向にあり、厚生労働省の「労働安全衛生マネジメントシステム指針(OSHMS指針)」との整合性が図られています
  • アメリカ: 法的義務ではないが、VPP参加企業を中心にISO 45001の導入が進んでいます
  • EU: EU戦略フレームワーク2021-2027がISO 45001の考え方と高い親和性を持ちます
  • イギリス: 目標設定型規制のもとで、ISO 45001は自主的な管理水準の向上ツールとして活用されています
  • オーストラリア: WHS法のリスクベースアプローチとISO 45001のPDCAサイクルが整合しやすい構造です

グローバル企業にとって、ISO 45001は各国の法制度の違いを吸収しつつ、全社で統一された安全衛生管理水準を確保するための有効な枠組みとなります。

グローバル企業が押さえるべきOHS戦略

最低基準は「最も厳しい国の規制」

複数国に拠点を持つ企業は、進出先の中で最も厳しい規制を全社基準とするアプローチが推奨されます。これにより各国の法令遵守を確保しつつ、管理の効率化を図ることが可能です。

「座る権利」はグローバルトレンド

立ち仕事の負担軽減は、カリフォルニア州の「座る権利」裁判やミシガン州アナーバー市の条例、EUのダイナミックワーク推奨など、国際的に注目度が高まっています。日本企業も、こうした国際動向を踏まえた職場環境の整備が求められる時代に入っています。

ILOの役割

ILO(国際労働機関)は各国のOHS政策を調整し、国際労働基準を設定する役割を担っています。ILO第155号条約(労働安全衛生条約)や第187号条約(労働安全衛生促進枠組み条約)は、各国の制度設計に影響を与える基本文書です。

まとめ

世界各国の労働安全衛生制度は、共通の目的を持ちながらもその規制アプローチは多様です。アメリカの厳格な基準と罰則、EUの予防原則と段階的リスク管理、イギリスの目標設定型アプローチ、オーストラリアのPCBU概念による広範な保護義務は、いずれも日本のOHS制度を相対化し、改善のヒントを与えてくれます。

特に立ち仕事の負担軽減については、欧米豪で「座る権利」や「ダイナミックワーク」の考え方が法規制やプログラムとして具体化されつつあり、日本企業にとっても海外拠点管理だけでなく国内の職場環境改善に活かせる知見が豊富にあります。

よくある質問

Q: 日本の労働安全衛生法は海外と比べて遅れているのですか?

A: 一概に「遅れている」とは言えませんが、アプローチに違いがあります。日本は労使協調による自主管理を重視する一方、アメリカは詳細な基準と厳格な罰則、EUは予防原則に基づく体系的なリスク管理を特徴としています。2026年改正安衛法では個人事業者保護や化学物質管理の強化が進められており、国際的な水準への接近が見られます。

Q: 海外拠点を持つ場合、どの国の基準に従えばよいですか?

A: 基本的には各拠点所在国の法令を遵守する必要があります。グローバル企業では、最も厳しい国の基準を全社方針として採用し、ISO 45001などの国際規格で統一的な管理体制を構築するアプローチが推奨されます。

Q: 立ち仕事の規制が最も進んでいる国はどこですか?

A: EU加盟国が先進的です。多くの国でレジ係が座って業務を行うことが一般的であり、EU-OSHAは静的立位のリスクを明確に指摘しています。オーストラリアも座位時間削減プログラムが充実しており、アメリカでは州レベルでの「座る権利」法制化が進んでいます。

参考文献

  1. 厚生労働省, 「労働安全衛生法」(昭和47年法律第57号), 1972年制定, 最終改正2024年. e-Gov 法令検索: https://laws.e-gov.go.jp/law/347AC0000000057
  2. OSHA (Occupational Safety and Health Administration), "About OSHA", U.S. Department of Labor. https://www.osha.gov/aboutosha
  3. EU-OSHA (European Agency for Safety and Health at Work), "EU Strategic Framework on Health and Safety at Work 2021-2027". https://osha.europa.eu/en/safety-and-health-legislation/eu-strategic-framework-health-and-safety-work-2021-2027
  4. Council Directive 89/391/EEC, "Framework Directive on Safety and Health at Work", 1989. EUR-Lex: https://eur-lex.europa.eu/legal-content/EN/TXT/?uri=CELEX:31989L0391
  5. Health and Safety Executive (HSE), "Health and Safety at Work etc Act 1974". https://www.legislation.gov.uk/ukpga/1974/37
  6. Safe Work Australia, "Model Work Health and Safety Laws". https://www.safeworkaustralia.gov.au/law-and-regulation/model-whs-laws
  7. ISO, "ISO 45001:2018 Occupational health and safety management systems", 2018. https://www.iso.org/standard/63787.html
  8. ILO, "C155 - Occupational Safety and Health Convention, 1981 (No. 155)". https://normlex.ilo.org/dyn/normlex/en/f?p=NORMLEXPUB:12100:0::NO::P12100_ILO_CODE:C155
  9. BeUpstanding Program, The University of Queensland, https://www.beupstanding.com.au/