薬剤師の腰痛は国際的に注目されるテーマですが、日本の病院薬剤師に特化した疫学データは限られています。本記事では、佐賀県唐津赤十字病院で行われた 448 人の職員腰痛調査(安河内ら, 2022)を一次ソースに、台湾の 10,470 人薬剤師コホート(Wang et al., 2021)を国際比較として、病院薬剤師の腰痛の実態と現場対策を整理します。
この記事でわかること
- 唐津赤十字病院 448 人調査(安河内ら, 2022)の職種別腰痛有訴率・重症者率
- 薬剤師を含む病院職員の腰痛発生作業ランキング
- 台湾 10,470 人薬剤師コホート研究(Wang et al., 2021)との比較
- 小サンプル横断調査を現場対策に活かす際の注意点
調査の概要(唐津赤十字病院 448 人調査)
研究デザイン
本記事の国内データは、以下の一次文献から引用しています(安河内ら, 2022)。
- 文献:安河内祐太, 伊藤真也, 小峠直之, 八谷瑞紀「当院職員における職業性腰痛の発生状況について」理学療法さが 8(1): 33-41, 2022. DOI: 10.20813/sagapt.8.1_33
- 対象:唐津赤十字病院(佐賀県唐津市、304 床・31 診療科の第三次救急病院)の正規職員 574 人のうち、有効回答を得た 448 人(有効回答率 78.0%)
- 方法:職業性腰痛に関する 9 項目のアンケートと、日本語版 Oswestry Disability Index(ODI)
- 倫理:唐津赤十字病院倫理委員会承認(承認番号 6-3)
- 時期:2020 年 2 月
- 重症の定義:ODI ≧ 12%(先行研究 Tonosu et al., 2012 に準拠)
職種別の内訳
全 448 人中、医師 47、看護師 263、看護補助者 13、薬剤師 15、放射線技師 12、臨床検査技師 17、リハビリテーション職 12、事務職 47、その他 22。薬剤師のサンプルサイズは 15 人と小さい点は、結果を読む上で重要です。
主要結果
全職員の腰痛有訴率と重症者率
| 項目 | 全職員 |
|---|---|
| 現在の腰痛有訴率 | 41.7%(187 / 448) |
| 過去 1 年間の腰痛 | 63.4%(284 / 448) |
| 3 か月以上持続 | 7.6%(34 / 448) |
| ODI ≧ 12%(重症) | 36.8%(165 / 448) |
| 腰痛による仕事支障(過去 1 年) | 22.3%(100 / 448) |
| 続ける不安あり | 25.0%(112 / 448) |
| 転職考慮 | 9.6%(43 / 448) |
職種別の腰痛有訴率・重症者率(原典 表4)
| 職種 | N | 有訴率 | 重症率(ODI ≧ 12%) |
|---|---|---|---|
| 医師 | 47 | 25.5% ↓ | 25.5% |
| 看護師 | 263 | 49.4% ↑ | 39.9% |
| 看護補助者 | 13 | 61.5% | 76.9% ↑ |
| 薬剤師 | 15 | 40.0% | 33.3% |
| 放射線技師 | 12 | 33.3% | 33.3% |
| 臨床検査技師 | 17 | 11.8% ↓ | 35.3% |
| リハビリテーション職 | 12 | 33.3% | 33.3% |
| 事務職 | 47 | 27.7% ↓ | 25.5% |
| その他 | 22 | 36.4% | 31.8% |
↑ / ↓ は残差分析で他職種と比べ有意(P < 0.05 または P < 0.01)に高い / 低い職種を示します。
- 腰痛有無 × 職種:χ² = 24.659, P = 0.002, Cramer's V = 0.235
- 重症度 × 職種:χ² = 15.681, P = 0.047, Cramer's V = 0.187
- 看護師は有訴率 49.4% で有意に高く、医師・臨床検査技師・事務職は有意に低い
- 看護補助者は ODI 重症者率 76.9% で有意に高い
- 薬剤師は 15 人中 6 人(40.0%)が腰痛を訴え、ODI 重症は 5 人(33.3%)。ただし他職種との統計的有意差はなし
腰痛の発生作業ランキング(全職員、複数回答)
| 順位 | 作業内容 | 人数 |
|---|---|---|
| 1 位 | 移乗介助 | 89 人 |
| 2 位 | 清拭・体位変換 | 86 人 |
| 3 位 | 立位・中腰作業 | 78 人 |
| 4 位 | 重量物の持ち上げ | 29 人 |
| 5 位 | 座位・デスクワーク | 27 人 |
立位・中腰作業が 3 位にランクインしており、調剤・監査など立位中心の薬剤師業務も腰痛の要因になり得ることが示唆されます。
腰痛による仕事の質・量への影響
腰痛があるとき、通常時を 10 点として自己評価した 仕事の量は平均 5.96 点、質は平均 5.99 点(原典 表 2)。約 4 割程度のパフォーマンス低下が起きている実態が示されました。
台湾 10,470 人薬剤師コホートとの比較(Wang et al., 2021)
薬剤師に特化した大規模研究として、台湾の国民健康保険データベースを用いたレトロスペクティブコホート研究があります(Wang et al., 2021, Medicine 100(9): e24830)。
- 対象:台湾で 2000 ~ 2013 年に 20 ~ 40 歳だった登録薬剤師 10,470 名
- 腰痛発症率(incidence):全体 16.60%
- 年齢別:36 ~ 40 歳で 28.49%(若年層より有意に高い)
- 勤務先別:地区病院勤務 23.51% > 診療所勤務 22.81%
- 併存疾患:糖尿病で 1.55 倍、痛風で 1.7 倍の腰痛発症リスク
Wang ら(2021)の 16.60% と唐津赤十字病院の薬剤師有訴率 40.0% の差は、研究デザインの違い(医療記録ベースの発症率 vs アンケートの時点有訴率)が大きく影響しているため直接比較には慎重さが必要です。ただし 「病院勤務の薬剤師が他の勤務先より腰痛リスクが高い」 という定性的な傾向は両研究で共通しています。
病院薬剤部で取り組める腰痛予防のポイント
原典論文では薬剤師特有のリスク因子分析は行われていないため、以下は安河内ら(2022)で全職員の腰痛発生作業として 3 位にランクインした 「立位・中腰作業」 と、厚生労働省「職場における腰痛予防対策指針」2013 年改訂版の一般原則から、病院薬剤部に適用可能な対策を整理したものです。
作業環境の見直し
- 調剤台の高さの個別最適化:立位での精密作業は、肘高よりやや低めに調整することが一般に推奨されます(厚労省指針)。高さ固定の台を複数名で共有する職場では足台の導入が現実的
- 薬品棚の配置:使用頻度の高い薬品を腰高 ~ 肩高の範囲に配置し、前傾・しゃがみ動作を削減
- 疲労軽減マット:立位時間の長い薬剤師への導入は試験運用で効果評価を
作業時間・動作の分散
- マイクロブレイクの制度化:1 時間ごとの姿勢変更・軽ストレッチ
- 座位で行える業務の整理:監査業務や服薬指導準備の一部を座位で実施
早期申告の文化づくり
安河内ら(2022)では、全職員の 25.0% が「仕事を続ける不安」を抱え、9.6% が転職を考慮している実態が明らかになりました。声を上げにくい環境は離職リスクに直結します。初期兆候を申告しやすい風土づくりが長期的なリテンションに寄与します。
この研究を読む際の注意
安河内ら(2022)は 単一施設(唐津赤十字病院)の横断調査 であり、薬剤師のサンプルサイズは N = 15 と小さい点に留意が必要です。薬剤師 40.0% という数値は「この病院での実態」であって、日本の病院薬剤師全体を代表する有病率として過大 / 過少どちらにも解釈され得る範囲にあります。より広い視座で参照する場合は、Wang ら(2021)の台湾コホート、あるいは全国の病院職員を対象とした松本ら(2011、有訴率 80%)や竹中ら(2015、有訴率 55%)の報告とも併せて評価すると良いでしょう。
まとめ
唐津赤十字病院 448 人調査(安河内ら, 2022)は、病院職員全体の腰痛有訴率 41.7%、ODI 重症者率 36.8%、薬剤師は 15 人中 6 人(40.0%)が腰痛を訴えていることを示しました。有訴率・重症者率ともに看護師・看護補助者が他職種より有意に高い一方、薬剤師は他職種との統計的有意差はないものの、立位・中腰作業が全職員の腰痛発生作業ランキング 3 位 に入っており、調剤・監査など薬剤師業務の特性からみても腰痛対策は無視できません。単一施設・小サンプルという限界を踏まえつつ、調剤台の高さ調整・マイクロブレイクの制度化・早期申告の風土づくりを病院薬剤部の実務対策として優先していくことが望まれます。
参考文献
- 安河内祐太, 伊藤真也, 小峠直之, 八谷瑞紀「当院職員における職業性腰痛の発生状況について」理学療法さが, 8(1): 33-41, 2022. DOI: 10.20813/sagapt.8.1_33. J-STAGE
- Wang, H.Y., Chen, Y.H., Hsieh, H.F., Chang, Y.C., et al. "Incidence of low back pain and potential risk factors among pharmacists: A population-based cohort study in Taiwan," Medicine, 100(9): e24830, 2021. doi: 10.1097/MD.0000000000024830. PMID: 33655945.
- Tonosu, J., Takeshita, K., Hara, N., Matsudaira, K., Kato, S., Masuda, K., Chikuda, H., "The normative score and the cut-off value of the Oswestry Disability Index (ODI)," European Spine Journal, 21(8), 1596-1602, 2012. PMID: 22298236. DOI: 10.1007/s00586-012-2173-7.
- 厚生労働省, 「職場における腰痛予防対策指針」(基発0618第1号, 平成25年6月18日), 2013年改訂. https://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r98520000034et4.html