「疲れ」は誰もが日常的に経験する感覚ですが、その正体を科学的に解明する試みは意外にも最近のことです。東京慈恵会医科大学の近藤一博教授の研究グループは、ヒトヘルペスウイルス 6 型(HHV-6)の再活性化が疲労のバイオマーカーとなることを発見し、さらに HHV-6 B 型が産生する SITH-1 タンパク質が HPA 軸(視床下部 - 下垂体 - 副腎軸)を活性化してうつ病リスクを大きく高めることを明らかにしました(Kobayashi, Kondo et al., 2020)。2024 年には、SITH-1 遺伝子の多型がうつ病の遺伝的リスク因子として機能することも報告されています(Kobayashi et al., 2024)。
本記事では、近藤教授の研究系譜を中心に、疲労医学の最新知見を解説します。
この記事でわかること
- HHV-6 とは何か:体内に潜むヘルペスウイルス
- 疲労と HHV-6 再活性化の関係(近藤教授のバイオマーカー研究)
- SITH-1 タンパク質と HPA 軸を介したうつ病リスク増大
- 2024 年に発見された SITH-1 遺伝子多型とうつ病遺伝リスク
- 産業保健・疲労医学への応用可能性
HHV-6 とは:ほぼ全人口が保有するウイルス
ヒトヘルペスウイルス 6 型の基礎知識
ヒトヘルペスウイルス 6 型(HHV-6: Human Herpesvirus 6)は、乳幼児期に突発性発疹(突発疹)の原因として感染し、その後は体内に潜伏感染の形で生涯にわたって存在し続けるウイルスです。
日本人を含め、ほぼ全人口が乳幼児期に HHV-6 に感染しており、通常は症状を引き起こしません。Kondo ら(1991)は、HHV-6 がマクロファージ/単球に潜伏感染を確立すること、phorbol ester 刺激で再活性化可能であることを示しました。免疫機能の低下やストレス・疲労が引き金となって、潜伏していたウイルスが再び活動を始める(再活性化)ことがあります。
潜伏と再活性化のメカニズム
HHV-6 は初感染後、主にマクロファージ/単球、唾液腺、および脳のアストロサイトに潜伏します。免疫系が正常に機能している間はウイルスの活動は抑えられていますが、以下のような条件で再活性化が起こります。
- 身体的疲労の蓄積
- 精神的ストレス
- 睡眠不足
- 免疫抑制状態(移植後、がん治療中など)
近藤教授の発見:疲労がウイルスを「起こす」
疲労と HHV-6 再活性化の関係
近藤教授の研究グループは、疲労が蓄積すると HHV-6 の再活性化が促進されることを発見しました(近藤, 2009)。再活性化した HHV-6 は唾液中に排出され、唾液中 HHV-6 DNA 量を測定することで疲労の度合いを客観的に評価できる可能性が示されています。
具体的には、以下のメカニズムが提唱されています。
- 疲労の蓄積により免疫機能が一時的に低下
- 潜伏していた HHV-6 が再活性化を開始
- 再活性化したウイルスが唾液中に排出される
- 唾液中の HHV-6 DNA 量を測定することで疲労度を客観的に評価
なぜウイルスは「疲労を感知」するのか
近藤教授は、HHV-6 の再活性化を「ウイルスの生存戦略」として説明しています。
ウイルスにとって、宿主(人間)の免疫機能が低下した時は新たな宿主に感染する好機です。疲労により免疫が弱まったタイミングで再活性化し、唾液を通じて他者(特に乳幼児)に感染しようとする——これがウイルスの進化的な戦略であると考えられています。
つまり、HHV-6 の再活性化は、身体が「これ以上無理をすると危ない」というシグナルを出しているタイミングと一致するのです。
疲労のバイオマーカーとしての意義
疲労は「主観」から「客観」へ
これまで疲労の評価は、主観的な質問票(VAS、蓄積疲労徴候インデックス等)に大きく依存してきました。しかし、主観評価には以下の限界があります。
- 個人差が大きい:同じ疲労度でも感じ方が異なる
- 社会的望ましさバイアス:「疲れている」と言いにくい職場文化
- 慣れによる過小評価:慢性的に疲労している人ほど疲労を自覚しにくい
HHV-6 のような客観的バイオマーカーがあれば、個人の申告に依存せず、唾液検査で疲労度を定量化できます。
産業保健への応用可能性
疲労のバイオマーカーが実用化されれば、以下のような産業保健上の活用が期待されます。
- 始業時の疲労度スクリーニング:高リスク状態の労働者を客観的に把握
- 過重労働のモニタリング:勤務時間だけでなく、実際の疲労度に基づく健康管理
- 介入効果の評価:疲労軽減策(マイクロブレイク、環境改善等)の効果を数値で検証
- 労災の予防:疲労に起因するヒューマンエラーのリスクを事前に検知
SITH-1 タンパク質とうつ病リスク
HHV-6B が脳に与える影響(Kobayashi, Kondo et al., 2020)
近藤教授らは、HHV-6B が持つ SITH-1(Small protein encoded by Intermediate stage Transcript of HHV-6)タンパク質がうつ病リスクを大きく高めることを発見しました(Kobayashi, Kondo et al., iScience 23(6): 101187, 2020)。
- SITH-1 は HHV-6B の潜伏感染タンパク質で、脳のアストロサイトで特異的に発現
- マウスで SITH-1 を嗅球アストロサイトに発現させると、嗅球アポトーシス・HPA 軸過活性化・抑うつ症状が誘発された
- SITH-1 は宿主タンパク質 CAML(Calcium-Modulating Ligand)と結合し、活性化複合体として細胞外カルシウムの流入を促進
- うつ病患者の血清中には、この活性化複合体に対する抗体が高率で存在:抗体陽性率はうつ病群 79.8% に対し対照群 24.4%(P = 1.78 × 10⁻¹⁵)、オッズ比 12.2
2024 年:SITH-1 遺伝子多型とうつ病遺伝リスク(Kobayashi et al., 2024)
近藤教授らは 2024 年、SITH-1 遺伝子の発現調節領域の遺伝子多型がうつ病(MDD: Major Depressive Disorder)の遺伝的リスク因子として機能することを報告しました(Kobayashi et al., iScience 27(3): 109203, 2024)。
- SITH-1 遺伝子発現を抑制するリピート配列の数が、MDD 患者で有意に少ない
- 17 回以下のリピート保有率:MDD 群 67.9% vs 対照群 28.6%(オッズ比 5.28)
- 17 回以下のリピート保有者では、家族内 MDD 保有率 47.4%。一方、17 回超の保有者の家族には MDD 患者なし
- これは、HHV-6B のウイローム(virome)が家族内(特に母子間)で伝播し、親から子へ受け継がれるウイルス遺伝子配列がうつ病家族性発症の因子となり得ることを示唆
2024 年 2 月 13 日、東京慈恵会医科大学はこの発見を「うつ病になりやすい体質が遺伝する仕組みを世界で初めて解明」としてプレスリリースしました。
疲労と抑うつの生物学的な接点
この一連の発見は、慢性的な疲労が抑うつにつながる生物学的メカニズムの一端を明らかにしました。
- 慢性的な疲労やストレスにより HHV-6B が再活性化
- 再活性化した HHV-6B が SITH-1 タンパク質を産生
- SITH-1 が嗅球アストロサイトで作用し、HPA 軸(視床下部 - 下垂体 - 副腎軸)を過活性化
- 抑うつリスクが上昇
- さらに、SITH-1 発現量を規定する遺伝子多型が、うつ病の家族性発症の一因となる(Kobayashi et al., 2024)
この知見は、「疲労の放置が精神的健康をも損なう」という経験的な理解に、科学的な裏づけを与えるものです。
疲労医学の今後の展望
実用化に向けた課題
HHV-6 を疲労バイオマーカーとして産業保健に応用するには、いくつかの課題が残されています。
- 検査の簡便化:現在の PCR 法は専門の検査機器が必要。唾液を使った簡易キットの開発が期待される
- 基準値の確立:どの程度のウイルス量が「過度な疲労」に対応するかの閾値設定
- 個人差の理解:HHV-6 の潜伏量や再活性化の閾値には個人差がある
- 他のバイオマーカーとの組み合わせ:心拍変動、コルチゾール、炎症マーカー等との複合評価
疲労研究の広がり
近藤教授の研究を起点として、疲労医学は大きく発展しています。
- 抗疲労食品の科学的評価:イミダゾールジペプチド等の抗疲労成分の効果検証
- 慢性疲労症候群(ME/CFS)の病態解明:HHV-6 再活性化との関連が研究中
- AI を活用した疲労予測:ウェアラブルデバイスのデータとバイオマーカーを組み合わせた疲労予測モデル
労働者の疲労管理に活かす
産業保健の現場では、バイオマーカーの実用化を待たずにも、自覚症状の定期的チェックと勤務時間管理の組み合わせが有効です。厚生労働省が提供する「労働者の疲労蓄積度自己診断チェックリスト」は、13 項目の自覚症状と 8 項目の勤務状況から疲労蓄積度を 4 段階評価するツールで、無料で活用できます。
科学的バイオマーカーの進歩と並行して、既存の自覚症状チェックを制度化することが、現場での疲労管理の出発点となります。
まとめ
近藤一博教授の研究は、疲労が HHV-6 の再活性化を引き起こすことを発見し、疲労の客観的な測定に新たな道を開きました(近藤, 2009)。さらに、Kobayashi, Kondo ら(2020)は SITH-1 タンパク質が HPA 軸を活性化してうつ病リスクを オッズ比 12.2 で高めることを明らかにし、Kobayashi ら(2024)は SITH-1 遺伝子の多型が MDD 遺伝リスク因子(OR 5.28)として機能することを報告しました。
これらの知見は、「疲れは気のせい」「休めば治る」という認識を覆し、疲労を科学的に管理すべき健康リスクとして位置づける根拠を提供しています。産業保健の現場でも、疲労蓄積度の自覚症状チェックを制度化しつつ、客観的バイオマーカーの実用化を視野に入れることが、長期的な労働者の健康と生産性の両立に寄与すると考えられます。
参考文献
- 近藤一博「疲労のバイオマーカー:唾液中ヒトヘルペスウイルス 6(HHV-6)」医学のあゆみ, 228(6), 664-668, 2009. 医歯薬出版. https://www.pieronline.jp/content/article/0039-2359/228060/664 /CiNii Research: https://cir.nii.ac.jp/crid/1521699229819587072
- Kondo, K., Kondo, T., Okuno, T., Takahashi, M., Yamanishi, K. "Latent human herpesvirus 6 infection of human monocytes/macrophages," Journal of General Virology, 72(6), 1401-1408, 1991. PMID: 1646280.
- Kobayashi, N., Oka, N., Takahashi, M., Shimada, K., Ishii, A., Tatebayashi, Y., Shigeta, M., Yoshikawa, H., Kondo, K. "Human Herpesvirus 6B Greatly Increases Risk of Depression by Activating Hypothalamic-Pituitary-Adrenal Axis during Latent Phase of Infection," iScience, 23(6), 101187, 2020. DOI: 10.1016/j.isci.2020.101187. PMID: 32534440.
- Kobayashi, N., Shimada, K., Ishii, A. et al. "Identification of a strong genetic risk factor for major depressive disorder in the human virome," iScience, 27(3), 109203, 2024. DOI: 10.1016/j.isci.2024.109203. PMID: 38414857.
- 東京慈恵会医科大学プレスリリース「うつ病になりやすい体質が遺伝する仕組みを世界で初めて解明」2024年2月13日. https://www.jikei.ac.jp/news/press/post_143.html
- 厚生労働省「労働者の疲労蓄積度自己診断チェックリスト」(2023 年改訂版). https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/roudoukijun/anzeneisei12/index.html