日本全国で猛暑日が常態化しつつある近年、製造業の現場においても熱中症による労働災害が深刻な問題となっています。2024年には職場での熱中症による死傷者数が過去最多の1,257人に達し、製造業だけで235人を占めました。こうした状況を受けて、企業の安全衛生担当者の間でWBGT値(湿球黒球温度)を活用した暑熱環境の数値管理が急速に注目を集めています。
本記事では、WBGT値の管理がなぜ今、製造業を中心に重要視されているのか、その背景と最新動向を解説します。
この記事でわかること
- 製造現場における熱中症リスクの深刻化の実態
- 感覚的な暑さ対策の限界と数値管理への転換の必要性
- WBGT値が注目される法的・社会的背景
- 企業が取り組むべき暑熱環境管理の最新トレンド
トレンドの背景:製造現場における熱中症の深刻化
労災統計に見る危機的状況
厚生労働省のデータによると、職場での熱中症による死傷者数は年々増加傾向にあり、2024年には過去最多の1,257人に達しました。このうち製造業は235人、建設業は228人で、この2業種だけで全体の約4割を占めています。
特に注目すべきは、この増加傾向が単なる気温上昇によるものではないという点です。WBGT値が「注意喚起レベル」となる日数は年によってばらつきがある一方、職場の災害件数は右肩上がりを続けています。これは、現場でのリスク管理や暑熱対策の徹底が追いついていないことを示唆しています。
製造業特有のリスク構造
製造業の作業現場には、熱中症リスクを高める構造的な要因があります。
- 発熱源の存在: ボイラー、炉、高温機器からの輻射熱により、室温が外気温を大きく上回るケースがある
- 空調の限界: 大規模な工場や倉庫では、空調設備が全体に行き渡らないことが多い
- 作業強度: 重量物の運搬や反復作業など、身体的負荷の高い作業が多い
- 防護具の影響: 安全靴、ヘルメット、保護手袋などが体温放散を妨げる
感覚的な暑さ対策の限界
「暑いと感じたら休む」では足りない
従来の熱中症対策は、作業員の自己申告や管理者の経験則に頼る「感覚的な判断」が主流でした。「暑く感じたら休む」「汗をかいていたら水を飲む」といった対応は、以下の理由から限界があることが明らかになっています。
- 個人差が大きい: 暑さの感じ方は個人の体質、年齢、体調によって異なる
- 高齢者の感覚鈍化: 加齢により暑さやのどの渇きを感じにくくなるため、自覚症状が出る前に脱水が進行する
- 申告しにくい職場風土: 「迷惑をかけたくない」「仕事を止められない」といった心理的要因で体調不良を申告しないケースがある
- 環境因子の見落とし: 気温だけを基準にすると、高湿度・高輻射熱の環境でリスクを過小評価してしまう
WBGT値による科学的管理への転換
このような課題に対して、WBGT値による管理は客観的な基準を提供します。気温・湿度・輻射熱を総合的に評価するWBGT値は、作業員個人の感覚に依存せず、環境そのもののリスクレベルを数値化できるため、より確実な熱中症予防が可能になります。
日本産業衛生学会や厚生労働省も、「感覚的な暑さ対策から、WBGT値に基づく科学的管理への転換」を強く推奨しています。
法的・社会的背景:義務化の流れ
2025年6月の労働安全衛生規則改正
WBGT値の管理が急速に注目を集めている最大の要因は、法改正による義務化です。2025年6月1日施行の改正労働安全衛生規則では、以下の条件に該当する作業環境において、企業に熱中症対策の体制整備と運用が法的に義務付けられました。
- WBGT値28℃以上
- 気温31℃以上
この改正により、WBGT値の測定と管理は「推奨事項」から「法的義務」へと格上げされ、違反した場合には罰則の対象となる可能性もあります。
厚労省「STOP!熱中症 クールワークキャンペーン」
厚生労働省が毎年実施している本キャンペーンでは、2024年度より「WBGT値の常時測定と掲示」が重点対策として掲げられました。厚労省は「気温だけでなく湿度や輻射熱も考慮したWBGT値の管理こそ、実効性ある熱中症対策の鍵」としています。
企業の社会的責任とリスクマネジメント
法令遵守だけでなく、企業の社会的責任(CSR)やESG経営の観点からも、従業員の健康・安全管理は重要なテーマとなっています。熱中症による労災が発生した場合、人的被害に加え、稼働停止による経済的損失、企業イメージの低下、訴訟リスクなど、多方面に影響が及びます。
企業が今から備えるべき具体策
1. WBGT測定体制の構築
まずは作業場所にWBGT測定器を設置し、定期的な測定体制を構築することが第一歩です。JIS B 7922に適合した測定器を使用し、作業場所の代表的な地点で連続的にモニタリングすることが推奨されます。
2. 段階的対応ルールの策定
WBGT値に応じた対応ルール(作業時間の短縮、休憩頻度の増加、作業の中止基準など)を事前に策定し、全従業員に周知しておくことが重要です。
3. 暑熱順化プログラムの導入
新規作業員や長期休暇明けの作業員に対して、数日間かけて段階的に暑熱環境に慣れさせる「暑熱順化」プログラムを実施することで、熱中症リスクを大幅に低減できることが報告されています。
4. IoT・デジタル技術の活用
近年では、IoTセンサーによるWBGT値のリアルタイムモニタリングや、ウェアラブルデバイスによる作業者の生体データ監視など、デジタル技術を活用した暑熱管理の導入も進んでいます。
日本の現状と海外との比較
日本のWBGT値に基づく暑熱管理は、国際的に見ても先進的な取り組みといえます。ISO 7243で規定されるWBGT基準を法令に組み込んでいる国は限られており、2025年の改正により日本は暑熱管理の法制度化で世界をリードする位置にあります。
一方、アメリカでは連邦OSHA(労働安全衛生庁)が暑熱ストレスに関する包括的な規制を策定中であり、カリフォルニア州やワシントン州では州レベルでの規制が先行しています。EUでもEU-OSHAが暑熱ストレス対策のガイドラインを公表しており、各国で法制度化の動きが加速しています。
まとめ
WBGT値の管理が注目される背景には、熱中症被害の深刻化、感覚的管理の限界、法改正による義務化という3つの要因があります。製造業を中心に、「暑さの感覚的管理」から「WBGT値に基づく科学的管理」への転換は、もはや避けられないトレンドです。
法令遵守はもちろん、従業員の健康と安全を守り、生産性を維持するためにも、WBGT値の測定体制と対応ルールを早期に整備しておくことが重要です。
参考文献
- 厚生労働省「令和6年 職場における熱中症による死傷災害の発生状況(確定値)」(2025年). https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_58389.html
- 厚生労働省「職場における熱中症予防基本対策要綱」(2021年). https://www.mhlw.go.jp/bunya/roudoukijun/anzeneisei33/
- 厚生労働省「STOP!熱中症 クールワークキャンペーン」実施要綱(2024年). https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000116133.html
- ISO 7243:2017「Ergonomics of the thermal environment — Assessment of heat stress using the WBGT index」. https://www.iso.org/standard/67188.html
- 日本産業衛生学会「熱中症対策に関する声明・見解」. https://www.sanei.or.jp/topics/statement/individual.html?entry_id=224